Travellers in dreams. -蒼天への慟哭-
君の隣が 僕の居場所。
成
って言う字が好きです。
書き方もなんとなく好きだし、住所書くときいつもこれだけ張り切って書くし。
んまぁそれだけじゃなくて、成功とか成就とか、いい意味の漢字だからってのが一番の理由です。
あと、訓読みで「なす」って読むのもいいなぁと思います。
「成せば成る」。
この世界では反対の言葉が必ずあります。
でも、成せば成る、の反対の言葉って案外一律ではないんだよね。
成さねば成らぬ、なんて言葉があるわけじゃないし、深く考えないとそういう意味の言葉って案外出てこない。てゆか、そういう言葉があったとしても、僕は聞いたことがない。
それは、何もしないで、何も起きないまま物事が済んでしまわないようにっていう考慮があったからあまり知られていない言葉なんだと、僕は思います。
何も起きない、それは確かに安全な道だけど、たとえ無茶だとわかってても何かしてみれば、案外いいように動くものだってあるんだって思います。
だから、「成せば成る」、それを言うだけで、何もしなければ何も起きないってことを充分伝えられる素敵な言葉だってことです。
でも、その意味を取り違えてるというか考えてない人たちが多くなってきたな、と思います。
法律とか学校・職場の規則、家庭のルール、いろんなルールに守られて僕たちは生きています。
法律は間違いなく破れば人生めちゃくちゃになるし、そもそも人としてするべきことが書かれているから、破った時点で命に関わるようなことがあったり、今後の人生めちゃくちゃになってしまったりします。
学校・職場の規則は、ひとつの集団の一人として生きているわけだから、上の人が言う「イメージ」を守る必要があります。イメージが崩れればその集団はなくなるわけだからね。
家庭のルールは、その家庭で子孫が間違った道に進まないように作られたルール。家庭によって違うから、他人が口を出すものではないです。
どれもに共通するのは、人を守るためのルールであって、嫌がらせのためのルールじゃない。
過去にいろんな経験を経て、危ないことをしないように、常識のない奴と罵られないためにあるもので。
でも、学校の規則が少しゆるくなったり、家庭のルールが黙認されるようになってきたり、するときはあるよね。
それが何を意味するか、ここまで読んだなら充分に理解できるはず。
危険度が下がったから、規則も緩めても大丈夫だろうって判断されて、緩められてるんです。
たとえば高校の規則で携帯を持ってきていいようになったとするなら、高校生にもなって携帯を使うTPOがわからないわけはない。って判断されたから持ってきてもいいようになったってことです。
たとえば家庭なら、今まではだめって言われてた隣の県まで遊びに行くことを許されたとしたら、隣の県でもし何かあったとしても、その場にいる人を頼って行ったり何とか自分で切り抜けられるような年だろうって判断されたから、許される。
そうやって許される範囲が広がったとき、今までできなかったことをしたくなって、自分のできる力の範囲を超えてやってしまう。
授業中携帯に気が行っちゃうのも、自分のいる県内でできる買い物をわざわざ県を超えてまで買いに行ってしまうのも、そのせい。
新しくできるようになったことをしたくなって、やらなければいけない事を忘れて新しい方に行ってしまう。もしくは、できるようになったことがやめられなくて、後から出てきた「やらなければいけない事」に気づけないまま放ったらかしになる。
それは確かに「何かをしてる」けど、やらなければいけない「何かをする」ことが一番大事なことだと思います。
目の前にある物事が、何を変えるのかを見極めなければいけない。
何かを変える、それは、「何かをして」初めて変わるものです。
そしてその「変える何か」は、決して大きな変化じゃなくてもいいものだと思います。
少し広がった許容の範囲の中で、ちょっと違うことをして、実質お金やものは変わってなくても、気持ちが変わるだけで充分なんだと思います。
「成せば成る」
この言葉で成されるモノは、お金でも地位でもなく、人の気持ちなんだと。
人の気持ちが動いて初めて、お金や地位に変わっていく。この言葉は、その第一歩を応援する言葉なんだと、僕は思います。
なんてことを考えた一日でした。
僕はまだ、半端に動いたまま動けないでいます。
書き方もなんとなく好きだし、住所書くときいつもこれだけ張り切って書くし。
んまぁそれだけじゃなくて、成功とか成就とか、いい意味の漢字だからってのが一番の理由です。
あと、訓読みで「なす」って読むのもいいなぁと思います。
「成せば成る」。
この世界では反対の言葉が必ずあります。
でも、成せば成る、の反対の言葉って案外一律ではないんだよね。
成さねば成らぬ、なんて言葉があるわけじゃないし、深く考えないとそういう意味の言葉って案外出てこない。てゆか、そういう言葉があったとしても、僕は聞いたことがない。
それは、何もしないで、何も起きないまま物事が済んでしまわないようにっていう考慮があったからあまり知られていない言葉なんだと、僕は思います。
何も起きない、それは確かに安全な道だけど、たとえ無茶だとわかってても何かしてみれば、案外いいように動くものだってあるんだって思います。
だから、「成せば成る」、それを言うだけで、何もしなければ何も起きないってことを充分伝えられる素敵な言葉だってことです。
でも、その意味を取り違えてるというか考えてない人たちが多くなってきたな、と思います。
法律とか学校・職場の規則、家庭のルール、いろんなルールに守られて僕たちは生きています。
法律は間違いなく破れば人生めちゃくちゃになるし、そもそも人としてするべきことが書かれているから、破った時点で命に関わるようなことがあったり、今後の人生めちゃくちゃになってしまったりします。
学校・職場の規則は、ひとつの集団の一人として生きているわけだから、上の人が言う「イメージ」を守る必要があります。イメージが崩れればその集団はなくなるわけだからね。
家庭のルールは、その家庭で子孫が間違った道に進まないように作られたルール。家庭によって違うから、他人が口を出すものではないです。
どれもに共通するのは、人を守るためのルールであって、嫌がらせのためのルールじゃない。
過去にいろんな経験を経て、危ないことをしないように、常識のない奴と罵られないためにあるもので。
でも、学校の規則が少しゆるくなったり、家庭のルールが黙認されるようになってきたり、するときはあるよね。
それが何を意味するか、ここまで読んだなら充分に理解できるはず。
危険度が下がったから、規則も緩めても大丈夫だろうって判断されて、緩められてるんです。
たとえば高校の規則で携帯を持ってきていいようになったとするなら、高校生にもなって携帯を使うTPOがわからないわけはない。って判断されたから持ってきてもいいようになったってことです。
たとえば家庭なら、今まではだめって言われてた隣の県まで遊びに行くことを許されたとしたら、隣の県でもし何かあったとしても、その場にいる人を頼って行ったり何とか自分で切り抜けられるような年だろうって判断されたから、許される。
そうやって許される範囲が広がったとき、今までできなかったことをしたくなって、自分のできる力の範囲を超えてやってしまう。
授業中携帯に気が行っちゃうのも、自分のいる県内でできる買い物をわざわざ県を超えてまで買いに行ってしまうのも、そのせい。
新しくできるようになったことをしたくなって、やらなければいけない事を忘れて新しい方に行ってしまう。もしくは、できるようになったことがやめられなくて、後から出てきた「やらなければいけない事」に気づけないまま放ったらかしになる。
それは確かに「何かをしてる」けど、やらなければいけない「何かをする」ことが一番大事なことだと思います。
目の前にある物事が、何を変えるのかを見極めなければいけない。
何かを変える、それは、「何かをして」初めて変わるものです。
そしてその「変える何か」は、決して大きな変化じゃなくてもいいものだと思います。
少し広がった許容の範囲の中で、ちょっと違うことをして、実質お金やものは変わってなくても、気持ちが変わるだけで充分なんだと思います。
「成せば成る」
この言葉で成されるモノは、お金でも地位でもなく、人の気持ちなんだと。
人の気持ちが動いて初めて、お金や地位に変わっていく。この言葉は、その第一歩を応援する言葉なんだと、僕は思います。
なんてことを考えた一日でした。
僕はまだ、半端に動いたまま動けないでいます。
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